リサ・ラーソンは最初から「かわいい」作家だったのか——ヴィンテージと復刻版の表情の違い
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目次
- 「かわいい」以前のリサ・ラーソン
- グスタフスベリ時代の造形——1954年から1980年まで
- 「類型と気分」——個別の肖像ではなく、存在の気配を作る
- シャモットと無表情——土の粒が甘さを抑える
- かわいさはフォルムにあった——丸み、量感、ふくよかな曲線
- 大人のかわいさ、一目で伝わるかわいさ
- ライオンの陶板——鉤爪と柔和さの矛盾
- Kスタジオ以降——リサ作品の「第二の流通期」
- わたしたち日本人が育てた「かわいいリサ・ラーソン」
- マイキーの誕生——陶芸からグラフィックへの翻訳
- 復刻版の表情——フォルムのかわいさと表情のかわいさ
- リサ・ラーソンは「かわいい」だけで語り切れる作家ではありません
- ヴィンテージを手に取るということ
「かわいい」以前のリサ・ラーソン
日本でリサ・ラーソンと聞くと、多くの方がまず思い浮かべるのは、赤い縞模様の猫マイキーや、丸くて愛らしい動物たちではないでしょうか。けれど、1950〜60年代のグスタフスベリ時代の作品を手に取ると、その印象は少し変わります。そこにいる動物たちは、こちらに向かって微笑んではいません。どこか遠くを見て、黙ってそこに在ります。
もちろん、リサ・ラーソンを「かわいい」と感じることは間違いではありません。ただし、それはリサ・ラーソンの全体像のうち、Kスタジオ以降、そして日本市場で広く受け取られた側面を強く映した見方でもあります。では、「かわいい」以前のリサはどんな造形をしていたのか。その造形はいつ、どのように「かわいい」として受け取られるようになったのか。この記事では、ヴィンテージ作品の表情から、その変化をたどります。
なお、この記事でいうヴィンテージとは、主にグスタフスベリ時代(1954-1980年)の量産作品、陶板、ユニークピースを指しています。復刻版や現行品を否定する記事ではありません。ヴィンテージと現行展開では「かわいさの質」が違う、ということをお伝えしたい記事です。
グスタフスベリ時代の造形——1954年から1980年まで
1954年、リサはスティグ・リンドベリに才能を見出され、1825年創業のスウェーデンを代表する陶磁器工場、グスタフスベリに加わりました。グスタフスベリはストックホルム東方の港町の名であり、その地に築かれた磁器工場の名でもあります。以後1980年に退社するまでの26年間、リサはここで量産作品とユニークピースの両方を手がけています。
動物作品の系譜は、リラ・ズー(Lilla Zoo、1955年デザイン)に始まります。わずか7体の小さな動物たち——猫、犬、ライオン、カバ、クマ、ヘラジカ、ハリネズミ——はリサの出世作となり、その後に続くストラ・ズー(Stora Zoo、1957年デザイン)、アフリカ(Afrika、1964年デザイン)、スカンセン(Skansen)といったシリーズへと展開していきました。
注目すべきは、これらのシリーズに通底する姿勢です。作品から見えてくるのは、単に「かわいい動物」を作るというより、動物という存在の輪郭や気配を陶土の中にとらえようとする姿勢です。その結果として生まれた造形が、後の時代に「かわいい」として再発見されることになります。
「類型と気分」——個別の肖像ではなく、存在の気配を作る
リサの造形の核心を、一つの言葉が正確に言い当てています。
グスタフスベリ磁器博物館は、リサの人物像について「types and moods rather than individual portraits(個々の肖像というより、類型と気分)」と評しています。この見方は、人物像だけでなく、動物作品を読むうえでも示唆的です。リサが作ったのは、特定の一匹の猫の肖像ではなく、「猫らしさ」の気配でした。
それゆえ、目は小さく、顔の造作は簡素化され、表情は極限まで抑制されています。ユーモアはあるけれど、甘さはありません。笑っているようにも見えるし、何も感じていないようにも見えます。表情の読み取りは、鑑賞者に委ねられているのです。
ストラ・ズーの猫を正面から見ると、その表情の読みにくさに気づきます。目はほとんど線で、鼻と口もわずかな凹凸で表現されているだけです。見る角度によって表情が変わるのは、そこに明確な「感情」が刻まれていないからです。リサは感情を引き算で表現していました。足し算の「かわいい」とは、正反対の方法論です。
シャモットと無表情——土の粒が甘さを抑える
素材もまた、表情の一部です。
リサがグスタフスベリ時代に多用したのが、シャモットです。シャモットとは、一度焼成した陶土を砕いて粘土に混ぜ込んだ素材で、表面にざらりとした粒感が残ります。釉薬をかけても、その質感は消えません。指で撫でれば砂を触るような手触りが返ってきます。
この粗さが、造形に甘さを持ち込むことを拒んでいました。シャモットの表面に丸い目を描いても、磁器のような滑らかさは生まれません。素材そのものが、「かわいい」とは別の方向——土の力、焼成の力——を主張しているのです。
「かわいい」を目指した造形ではありません。陶芸家の造形です。素材と対話し、窯の中の火と交渉し、手の痕跡をそのまま残す。それがグスタフスベリ時代のリサ・ラーソンの表情でした。
かわいさはフォルムにあった——丸み、量感、ふくよかな曲線
では、ヴィンテージのリサ・ラーソン作品には愛らしさがないのかといえば、それはまったく違います。
ヴィンテージにも確かな愛らしさがあります。ただし、その源は顔の表情ではなく、フォルムにあります。ここが決定的に重要な点です。ヴィンテージのかわいさは顔ではなく輪郭に宿ります。
ABCガールズのドラを後ろから見てみてください。
ふくよかな丸み、量感のあるシルエット。顔が見えなくても、この後ろ姿だけで静かに心を動かす力があります。リサ・ラーソンのヴィンテージ作品における愛らしさは、表情ではなく、この丸みを帯びたフォルムの中にこそ宿っていると考えると自然です。
猫も同じです。ストラ・ズーの猫を後ろから眺めると、その丸みの造形に目を奪われます。
リサ・ラーソンは丸い造形の名手でした。ドラの後ろ姿も、猫の丸みも、カバの胴体も、ライオンのたてがみも、すべて丸みを帯びています。角がなく、力みがなく、手のひらで包み込みたくなるような曲線です。
つまり、ヴィンテージのかわいさとは「フォルムのかわいさ」です。無表情に近い顔と、丸くふくよかなシルエットの組み合わせ。表情は何も語りませんが、手のひらに載せたときのあの丸みと量感が、静かに何かを伝えてきます。
大人のかわいさ、一目で伝わるかわいさ
「一目で伝わるかわいさ」と「時間をかけて見えてくるかわいさ」は、根本的に異なります。
大人であれば、ストラ・ズーの猫の無表情な顔に、かえって奥深い愛らしさを見出すことができます。丸いフォルムの温かみ、シャモットのざらりとした手触り、目を凝らさなければ分からない表情の微かな揺らぎ。これらは時間をかけた鑑賞の中でこそ感じ取れるものです。
一方で、キャラクターとして広く届くかわいさは、一目で伝わる必要があります。目が大きく、口元が柔らかく、こちらを見ているように感じられる造形は、鑑賞の時間を必要とせず、すぐに「かわいい」と受け取られます。
ヴィンテージのリサ・ラーソンは、一目で伝わる分かりやすさを持っていません。表情を読み取るために、少しの時間と、少しの想像力が必要です。それは大人にこそ開かれた鑑賞の時間と言えます。
この「時間をかけて見えてくるかわいさ」と「一目で伝わるかわいさ」の差は、リサ・ラーソンの作品が半世紀をかけてたどった変化の核心に関わっています。グスタフスベリ時代のリサは、少なくとも幼児向けキャラクターのような即時的なかわいさを最優先していたわけではありません。そしてある時点から、作品はより広い層に——一目でかわいさを感じ取りたい人々にも——開かれていくことになります。
ライオンの陶板——鉤爪と柔和さの矛盾
リサ・ラーソンの造形の複雑さを最もよく示す作品があります。ライオンの陶板です。
この陶板をよく見てください。ライオンの足元には鉤爪が鋭く刻まれています。自然界の肉食獣としての力が、はっきりと表現されています。しかし、顔に目を移すと、表情は驚くほど柔和です。攻撃的な印象はどこにもありません。穏やかで、どこかのんびりとしていて、鉤爪との間に静かな矛盾が生まれています。
この矛盾こそが、リサ・ラーソンという作家の核心です。リサは動物を「かわいい」だけのものとしても、「力強い」だけのものとしても造形しませんでした。鋭さと柔らかさ、力と穏やかさ、野性と親しみやすさを一つの造形の中に共存させています。これは「かわいい」を意識した設計ではなく、動物という存在そのものの複雑さに迫った結果です。
「かわいい」の一語では、この造形の奥行きを掬いきることができません。
Kスタジオ以降——リサ作品の「第二の流通期」
1980年にグスタフスベリを離れたリサは、フリーランスの陶芸家として活動した後、1992年にグスタフスベリ時代の同僚であるフランコ・ニコロシ、シヴ・ソリンとともにケラミックスタジオン(Keramikstudion)を設立しました。通称「Kスタジオ」と呼ばれる小規模な工房です。
Kスタジオは、グスタフスベリのような大規模な工場ではありません。少人数の制作体制のもと、リサのデザインを再び陶器として世に送り出す場でした。グスタフスベリ時代の代表作の復刻や新作を手がけ、リサの作品は再び広く流通するようになります。
日本でリサが広く知られるようになった時代は、Kスタジオ以降と重なります。日本の読者が思い浮かべる「かわいいリサ」は、グスタフスベリ時代そのものよりも、Kスタジオ以降に再発見され広がったリサ像に近いのです。
わたしたち日本人が育てた「かわいいリサ・ラーソン」
リサ・ラーソンの作品がもともと持っていた丸み、ユーモア、とぼけた表情——それらが「かわいい」として再発見されたのは、日本市場においてでした。
2000年代初頭、パワーショベル(PowerShovel、後のトンカチ)がリサ・ラーソンに接触しました。大阪のインテリアショップ、ディエチ(Dieci)にリサの作品が初めて上陸し、「飛ぶように売れた」といいます。この出来事が、リサ・ラーソンと日本市場の関係の始まりです。
2012年にトンカチ株式会社が設立され、リサ・ラーソンのライセンス管理と商品企画が本格化します。ユニクロ、海洋堂、そのほか多くの日本企業とのコラボレーションが次々に実現しました。
日本はリサ・ラーソンにとって重要な市場となりました。2014-2015年の日本巡回展は大きな反響を呼んでいます。
ここで重要なのは、日本市場がリサの造形を「変えた」のではないという点です。リサの作品がもともと持っていた丸み、ユーモア、とぼけた佇まいを、日本の「かわいい」という感性が受け取り、拡張していった——そう理解するのが自然です。リサ自身の造形は、最初から「かわいい」の種を内包していました。日本市場はその種に光を当て、花開かせる役割を果たしたと見ることができます。
マイキーの誕生——陶芸からグラフィックへの翻訳
2008年、リサ・ラーソンと娘ヨハンナ・ラーソンの共作絵本『BABY NUMBER BOOK』の表紙に、赤い縞模様の猫マイキーが登場しました。
リサが描いた動物のスケッチを、娘でグラフィックデザイナーのヨハンナ・ラーソンがグラフィックとして整理し、色を与える——その過程で、リサの造形言語は陶器の偶然性やシャモットの質感を離れ、線と色によるキャラクター表現として大きくメディアの壁を越えました。
マイキーは、リサのキャリアにおける明確な分水嶺でした。ただし、それは陶芸としての転換ではありません。メディアの転換です。マイキーは3Dの陶芸作品ではなく、2Dのグラフィックキャラクターとして生まれました。土の重みを離れ、線と色で一目で伝わる存在になったのです。シャモットの粒感も、釉薬のにじみも、手の痕跡もそこにはありません。テキスタイル、文具、Tシャツ、エコバッグ——あらゆる平面に展開可能な「キャラクター」として設計された存在です。
ヨハンナの役割は見逃せません。グラフィックデザイナーであるヨハンナは、リサの陶芸作品を2Dのイラストレーションに「翻訳」する役割を担いました。リサの造形言語——丸い曲線、簡素な顔立ち、ユーモア——を、グラフィックの世界に持ち込んだのです。この翻訳の過程で、リサの造形は必然的に「整理」されました。シャモットの偶然性は消え、線は滑らかになり、表情はより明確になっていきます。
トンカチの証言が興味深いものです。最初のセラミック版マイキーは「ちょっと間抜けな顔」をしていて、小売店には「子供が泣く」と言われたといいます。しかしトンカチは「この猫には何かがある」と感じました。ここにヴィンテージの「そっけなさ」と市場の「かわいさへの期待」のせめぎ合いが表れています。
同じリサ・ラーソンの猫でも、ヴィンテージと現行展開では設計の方向が違います。ヴィンテージは表情を最小限に抑え、フォルムの丸みでかわいさを伝えます。現行展開は目の大きさと柔和な口元で、一目で「かわいい」と感じられる明示性を持ちます。どちらが優れているかではなく、質の異なる二つのかわいさが並び立っているのです。
復刻版の表情——フォルムのかわいさと表情のかわいさ
ヴィンテージと復刻版を並べたとき、変化の方向が見えてきます。
少なくとも日本市場で広く流通した復刻・現行品の一部では、ヴィンテージと比較してより親しみやすい仕上がりのものが見られます。目がわずかに大きくなっていたり、口元がほのかに上がっていたり、全体的に表情が柔和で、こちらを見て微笑んでいるような印象を受けるものがあります。ヴィンテージの「読み取りを鑑賞者に委ねる」無表情とは、異なるアプローチです。より親しみやすく、分かりやすい表情として受け取られるようになりました。
こうした事例を踏まえると、二つのかわいさの質的な違いが浮かび上がります。
ヴィンテージのかわいさは「フォルムのかわいさ」です。無表情に近い顔と、丸くふくよかなシルエットが組み合わさっています。顔は何も語りませんが、手に取ったときの丸みが、静かに愛らしさを伝えてきます。大人の鑑賞眼でこそ見出せるかわいさです。
復刻版のかわいさは「表情のかわいさ」です。柔和な顔立ち、優しい目、微笑んでいるような口元。誰が見ても一目で「かわいい」と感じる明示的なかわいさです。
どちらが優れているという話ではありません。しかし、その質が異なることは、ヴィンテージを日々扱う立場から、はっきりと申し上げることができます。
リサ・ラーソンは「かわいい」だけで語り切れる作家ではありません
「かわいい」の変遷をたどってきましたが、忘れてはならないことがあります。リサ・ラーソン(1931-2024)は、「かわいい」だけで語り切れる作家ではないということです。
ユニークピースを見れば、それは明らかです。一点物の花器、動物像、陶板——そこには甘さがありません。シャモットの荒い粒が指に引っかかり、釉薬の流れは窯の中の偶然をそのまま記録しています。色は季節を映し、フォルムは規格化を拒んでいます。自然を大胆に抽象化し、手の痕跡をそのまま残すその造形には、量産品の「かわいい」とは別の次元の力があります。
リサ本人は「私は常に自分自身のスタイルを持っている。他の人のスタイルは研究しない」と語っていました。その言葉通り、リサの造形には一貫した個性があります。自然を抽象化し、手の痕跡をそのまま残し、素材の力を信じる。この態度はグスタフスベリ時代から生涯を通じて変わりませんでした。
ヴィンテージの価値は希少性だけではなく、表情を読み取る余白にあります。量産の「かわいい」と、作家としての造形の力。リサはその二つの間に立っていました。量産品は時代ごとの流通や受容の中で意味を広げ、ユニークピースでは作家としての造形がより直接に表れます。その二重性こそが、リサ・ラーソンという作家の全体像です。
ヴィンテージを手に取るということ
リサ・ラーソンの動物たちは、たしかにかわいい。けれど、そのかわいさは最初から分かりやすい顔で用意されていたわけではありません。土の粒、丸い量感、読めない目、沈黙する表情。その奥にあったものが、Kスタジオ以降の制作、日本市場、マイキーのようなグラフィック展開を通じて、私たちの知る「かわいいリサ」へと開かれていきました。
ヴィンテージ作品の中には、その手前のリサが残っています。まだ「かわいい」という言葉に整理される前の、静かで、少しそっけなく、しかし不思議に温かいリサです。
分かりやすく微笑むわけではないのに、長く見ているほど離れがたくなる。その静かな魅力こそ、ヴィンテージを選ぶ理由です。
ヴィンテージのリサ・ラーソン作品には、現行品とは異なる沈黙と造形の深さがあります。当店では、その表情を実際に感じていただける作品を一点ずつ選んでご紹介しています。