〜世界へ羽ばたいたリサ・ラーソンの原点〜
リサ・ラーソン(本名:インガ・リサ・アルハーゲ)は、1931年9月2日、スウェーデン南部のスモーランド地方・ヘルルンダ(Härlunda)で生まれました。2歳のときに母を亡くし、製材所を営む父とともに暮らしながら、幼い頃から木の端材で彫刻を作ったり、近所の風景をスケッチして売ったりと、豊かな想像力を発揮していたといいます。
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幼少期からの芸術への熱意
父はクリエイティブな感性を尊重し、リサにも積極的にものづくりをさせていました。こうした家庭環境のもと、リサは「粘土」という素材に魅了されていきます。最初は絵画も学ぼうと思っていた彼女ですが、やがて陶芸の表現力に惹かれ、のめり込んでいくことになりました。
アートスクール時代とグンナルとの出会い
リサは1948年、イエーテボリのアートスクールに入学。当初は絵画と陶芸の両方を学ぶつもりでしたが、「女の子には陶芸のほうが向いているかもしれない」という周囲の声に押される形で陶芸科に進みます。ところが、実際に粘土を触ってみた途端、「自分はこの道に進むんだ」と直感し、以後まったく後悔することはなかったといいます。
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アートスクール在学中の1950年頃、若い芸術家グンナル・ラーソンと出会い、1952年に結婚。1953年には、尻尾がピーンと立った可愛いネコを卒業制作として作り上げ、これが後の代表作「Lilla Zoo(小さな動物園)」シリーズ誕生のきっかけになります。
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1950年代:グスタフスベリでの飛躍
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スティグ・リンドベリの目に留まる
1954年、ヘルシンキで行われたデザインコンペに出品した花瓶などが評価され、当時グスタフスベリの責任者として活躍していたスティグ・リンドベリに才能を見出されます。リンドベリは「若いデザイナー4人を集め、1年間自由に新しいプロトタイプを作らせる」という大胆なプログラムを考えており、リサはそのプロジェクトに招待されることに。夫のグンナルとともにイエーテボリを離れ、「一時的」という思いでストックホルム郊外の小さな工場村に移り住みますが、結局26年にわたってグスタフスベリに所属し、多くの名作を生み出すことになりました。
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「Lilla Zoo」から「Stora Zoo」「ABC-Flickor」へ
学生時代に作ったネコを量産用にアレンジした「Lilla Zoo」は、リサにとって初の大量生産製品となりました。その後「Stora Zoo」「ABC-Flickor」など、1950年代だけで10以上のシリーズを次々に発表。動物や人物をモチーフに、ユーモアあふれる表情と温かみのあるフォルムが特徴的です。
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1956年、同僚のウィルヘルム・コーゲが日本を旅し、多数の陶芸品をスウェーデンに持ち帰りました。それらを目の当たりにしたリサは、日本の陶芸に深く魅了され、のちの作品にも繊細な造形や装飾の美しさが反映されるようになります。

1960年代:世界へ広がるリサ・ラーソンの作品
この時代、リサは30を超える新シリーズを立て続けに生み出します。代表的な動物モチーフ「Lion」やネコの「Mia」など、かわいらしい造形の作品が人気を博し、ヨーロッパやアメリカの展覧会に参加するなど国際的評価を高めていきました。
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
さらに、グスタフスベリがアーティストを支援する姿勢も相まって、公共施設の壁のフリーズ(壁画的な陶板装飾)制作などユニークな挑戦を行う機会に恵まれます。リンドベリとは仕事仲間であるだけでなく家族ぐるみの交流を続ける間柄だったため、創作に関するやりとりも活発だったといいます。

1970年代:日本との再会と社会的メッセージ
1970年、大阪万博を訪れたリサは、濱田庄司など多くの日本の著名陶芸家と出会い、大きなインスピレーションを得ました。以前から日本の美意識に魅了されていたリサにとって、現地体験はさらに創作の幅を広げる重要な出来事となりました。
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一方で、ユニセフのチャリティープロジェクトとして「All Världens Barn(世界の子どもたち)」シリーズを制作するなど、社会性のあるテーマにも力を注ぐようになります。1975年頃には家族とともにストックホルム郊外のナッカへ引っ越し、自宅にアトリエを構えながら1980年までグスタフスベリへ通い続けました。
1980年代:フリーランスとしての新たな挑戦
1980年にグスタフスベリを退社したリサは、フリーランスの陶芸家として日本やドイツの企業とコラボレーションし、さらなる活躍の場を広げます。
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1981年には西武百貨店の依頼で日本で展覧会を開催し、温かい歓迎を受けました。ドイツではローゼンタールやゲーベル、スウェーデンではオーレンスといった企業のために作品を手がけ、日本製の「Jang」という高品質食器シリーズを20年間にわたってデパートで販売するなど、多彩な実績を残します。

この頃、グスタフスベリ時代のアシスタントが立ち上げた「ケラミークステューディオン」が、リサの60~70年代の作品を引き続き生産。ヴィンテージ作品に注目が集まる一方で、新たなファンにも支えられ、リサの人気は衰えることを知りません。

1990年代:家族との暮らしと芸術活動の深化
90年代には、新作シリーズとして「Familj(家族)」「Änglar(天使)」「Moses」「Mans」などを次々と発表。既存シリーズの再生産だけでなく、リサ自身の芸術作品制作にも専念し、絵画やリトグラフを手がける夫グンナルとの共催展も行います。
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(リサと夫グンナル)
3人の子どもと9人の孫を迎え、家族の幸せを糧に自由な創作活動を続けるリサ。アトリエでの時間は「自分にとって最高の幸せ」という言葉通り、作品のバリエーションはさらに豊かになっていきました。
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2000年代以降:再評価と日本での人気
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2005年、スウェーデンでリサの仕事を網羅した本が出版されると、改めて彼女の作品が脚光を浴びます。特に日本では、50~60年代のヴィンテージ作品を中心にコレクター熱が高まり、アトリエを訪れるファンも増加。雑誌『ジョルニ』でのリサの連載コラムや日本企業とのコラボレーションも相次ぎました。
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2009年には、リサの人生を振り返る写真集が日本で出版。その後もムックや雑誌で特集されるなど、陶芸ファンのみならず幅広い層に支持され続けます。リサ本人は「仕事を辞める気は全くない」と語り、80歳を超えてもなお新素材やテキスタイル分野への好奇心を維持し、「次世代とのコラボレーションが本当に楽しい」と笑顔を見せていました。
死去とその遺産
2015年には滋賀県「信楽陶芸の森」に大型フィギュアが設置され、日本国内での知名度はさらに上昇。2020年には大規模な回顧展が開催され、過去から近年までの作品が一堂に集まり、多くのファンの注目を集めました。

そして2022年、リサはスウェーデン王室から名誉ある「Illis Quorum」勲章を授与され、国を代表する陶芸家としての地位が不動のものに。
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2024年3月11日に92歳でその生涯を閉じましたが、温かみとユーモアに満ちた彼女の作品は今なお国内外で愛され、次世代のアーティストにも大きなインスピレーションを与え続けています。
【年表】リサ・ラーソンの歩み
• 1931年9月2日
スウェーデン・ヘルルンダに生まれる(本名:インガ・リサ・アルハーゲ)。
• 2歳頃
母を亡くし、父に育てられる。製材所の端材で彫刻を作るなど幼少期から創作活動に親しむ。
• 1948年
イエーテボリのアートスクールに入学。当初は絵画と陶芸を学ぶ予定が、陶芸科に進路を決定。
• 1950年前後
若い芸術家グンナル・ラーソンと出会い、1952年に結婚。
• 1953年
学生時代最後の年に「しっぽの立ったネコ」を制作。後の「Lilla Zoo」シリーズにつながる。
• 1954年(23歳)
ヘルシンキのデザインコンペで注目され、スティグ・リンドベリの招きによりグスタフスベリに入社。
以降、26年間にわたり多数の作品を発表。
• 1956年
同僚ウィルヘルム・コーゲの日本訪問により、持ち帰った陶芸品を見て日本文化に感銘を受ける。
• 1960年代
「Lion」「Mia」など代表作を含む30シリーズ以上を制作。ヨーロッパやアメリカで展覧会に参加。
• 1970年
大阪万博を訪問し、日本の著名陶芸家らと交流。
• 1974年
ユニセフのチャリティープロジェクト「All Världens Barn(世界の子どもたち)」を制作。
• 1975年頃
ストックホルム郊外のナッカへ移住。1980年までグスタフスベリに通いながら作品づくりを継続。
• 1980年
グスタフスベリを退社し、フリーランスとして独立。
• 1981年
西武百貨店の依頼で日本で展覧会を開催。大きな反響を得る。
• 1980年代
ドイツ(ローゼンタール、ゲーベル)、スウェーデン(オーレンス)など複数企業とコラボ。「Jang」など日本製の食器シリーズも手がける。
• 1990年代
「Familj」「Änglar」「Moses」「Mans」など新作シリーズを発表しつつ、芸術作品に注力。ギャラリーでの展覧会も積極的に開催。
• 2000年代
スウェーデンでの出版をきっかけに再評価が進み、日本でもコレクターが増加。雑誌やムックで特集される。
• 2015年
滋賀県「信楽陶芸の森」に大型フィギュアが設置され、日本国内でさらに知名度がアップ。
• 2020年
大規模な回顧展が開催され、リサの作品世界を総括する展示として話題に。
• 2022年
スウェーデン王室より「Illis Quorum」勲章を授与。
• 2024年3月11日
92歳で死去。ユーモアと温かみに満ちた作風は今なお世界中で愛されている。
まとめとあとがき
リサ・ラーソンの作品は、そのユーモアや愛らしさだけでなく、時代や文化、そして家族との生活までもがデザインの背景に滲み出ています。幼少期からの創作への情熱、グスタフスベリで得た自由な環境、日本をはじめ海外との交流や影響――それらが結実して、世界中のファンの心を掴む独特の温かさを持った作品群が生まれました。
彼女の足跡は北欧デザイン史のみならず、工芸・美術全般に大きな影響を与え続けています。ぜひ、その作品に実際に触れてみて、リサ・ラーソンが生み出した「楽しさ」と「優しさ」を感じ取っていただければ幸いです。
(執筆:北欧食器タックショミュッケ編集部)