【北欧ミッドセンチュリーの巨匠】スティグ・リンドベリの生涯〜人気作「ベルサ」と家族の絆〜

【北欧ミッドセンチュリーの巨匠】スティグ・リンドベリの生涯〜人気作「ベルサ」と家族の絆〜

スティグ・リンドベリとは?

スティグ・リンドベリ

スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg、1916〜1982)は、20世紀のスウェーデンを代表するデザイナーです。陶芸界の「プリンス」とも称される存在で、1937年に名門グスタフスベリ社(Gustavsberg)の製陶所に入社し、同社の人気を支え続けました 。陶磁器からガラス、テキスタイル、工業製品、絵本のイラストまで幅広い分野で才能を発揮し、戦後スウェーデン最大のクリエイターとの呼び声も高い人物です 。とりわけ彼は色彩フォルムをスウェーデンのミッドセンチュリー期にもたらしたデザイナーの一人であり、その影響はデザイン界全体に急速に浸透しました

巨匠リンドベリ
(リンドベリの貴重なカラー写真)

 

幼少期とデザインへの興味

スティグ・リンドベリ(Stig Lindberg)は1916年、スウェーデン北部の都市ウメオに五人兄弟の末子として生まれました。父ヘロフは職業軍人、母リディアは教師で、礼儀正しくよく躾けられた子どもだったといいます 。幼い頃から音楽に強い関心を持ち、ピアノを生涯の職業(コンサートピアニスト)にしようと考えるほど熱中していました。しかし14歳のとき薪割り中の事故で親指を切る大怪我をして、ピアノの稽古を断念せざるを得なくなります。この療養期間中に描画への情熱が芽生え、紙とペンを手に創作に没頭するようになったことが、デザインの世界へ進むきっかけとなりました。

若き日のリンドベリ
(ファイアンス焼きにペイントを施す若き日のリンドベリ)

こうして美術の道を志すようになったリンドベリは、高校卒業後の1935年にストックホルムの工芸学校(現コンストファック美術大学)へ進学し、デザインを体系的に学びます。さらに1937年には自ら首都近郊のグスタフスベリ陶磁器工場を訪ね、「僕を雇えば仕事を増やしてみせる」と直談判。その自信に満ちた姿勢が芸術監督ウィルヘルム・コーゲに認められ、夏季雇用という形で採用されました。これがリンドベリの才能開花の大きな出発点となり、後に彼はコーゲの後任として芸術監督(1949年就任)も務めることになります。

コーゲとリンドベリ

(巨匠コーゲと壮年のリンドベリ)

リンドベリの一点もののフラワーベース
(リンドベリの一点もののフラワーベース、当店商品

 

 

パターンデザインの巨匠への歩み

グスタフスベリ社でキャリアを始めたリンドベリは、陶磁器を中心にテキスタイルやガラス、挿絵、工業製品など、多方面で才能を発揮しました。1940〜50年代のスウェーデンでは「Folkhem(人民の家)」と呼ばれる社会構想のもと、機能的かつ美しい日用品が重視され、人々の暮らしはより豊かなものへと変化していました。リンドベリはそんな時代の波に乗り、皿やカップ、ファブリックなどに遊び心あふれるパターンを次々と生み出して、大きな支持を得ます。

プルーヌス
(代表作の一つプルーヌス)

北欧デザインといえばシンプルでクールなイメージが主流とされがちですが、リンドベリはそこにカラフルさとユーモアをもたらし、「パターンデザインの巨匠」と呼ばれるほどの地位を確立しました。彼の創作物には余白をほとんど残さず、器や紙面のすみずみまで人物や植物などのモチーフをぎっしりと描き込む大胆な作風がよく見られますが、不思議と圧迫感を与えず、全体が調和しバランスを保っています。その巧みさは、皿やティーポットだけでなくテキスタイルデザインにおいても遺憾なく発揮されました。

とりわけ以下のシリーズは、リンドベリ作品を代表する定番パターンとして知られています。

スピサ・リブ(Spisa Ribb, 1955年)

茶色と黒のストライプ模様が特徴的なテーブルウェアシリーズ。現在でも復刻版が製造されるほど根強い人気を誇る。

アダム(Adam, 1959年)

白地に濃紺のドットを配したモノトーン調の食器シリーズ。大胆な水玉パターンは当時として斬新で、高い評価を受けた。

プルーヌス(Prunus, 1962年頃)

白地にブルーのプラム(梅の実)をスタイリッシュに描いた図柄。素朴さと洗練が融合した北欧らしいデザインが魅力。

ベルサ(Berså, 1961年)

白地に緑の葉っぱ模様を規則正しく並べた、リンドベリの作品を象徴するシリーズ。スタイライズされた瑞々しい葉のパターンで北欧デザインのアイコンとなった。

これらのパターンデザインは当時のスウェーデンの家庭に広く受け入れられ、「スウェーデンの家庭にはいつもリンドベリのパターンがあった」と言われるほどの存在感を放ちました。

ベルサプレート
(北欧デザインの象徴ともいえるベルサ


テキスタイルからテレビのデザインまで

実はリンドベリは陶磁器だけでなく、テキスタイルデザインの分野でも優れた作品を多数発表しています。1947年にはストックホルムの老舗百貨店NK(エヌコー)のテキスタイル部門チーフだったアストリッド・サンプと組み、メロディー、フリクトローダ(フルールバスケット)、ポテリー(陶器)、ルストガーデン(最後の楽園)など大胆でシュールなプリント柄を次々と生み出しました。これらの布地は北欧モダンを象徴するプリントテキスタイルとして現在でも高い人気を保っています。

メロディ
(メロディ、1947年)

フリクトローダ
フリクトローダ、1947年)

ポテリー(陶器)
ポテリー、1947年)

ラストガーデン
(ルストガーデン、1954年)

テキスタイルとリンドベリ
(テキスタイルとリンドベリ)

さらに1950年代後半には母校コンストファック(芸術大学)の教授に就任し、後進の指導にも積極的に取り組みました。工業デザインの領域では、1959年には当時としては斬新な回転スクリーン式テレビ「ルマヴィジョンLT 104」、1962年にはトランジスタラジオを手掛けるなど、プロダクト分野にもその才能を発揮。本人いわく「私にとっての画鋲は野の花と同様に詩的なのです」という言葉が示すように、日用品に対しても芸術作品と同様の情熱を注いでいたと言われています。

リンドベリのtv
(回転式のテレビ、ルマヴィジョンLT 104)


タイムレスなデザイン

リンドベリのデザインは、時代を経ても魅力が色褪せない“タイムレス”な価値を持っています。彼が手掛けた「アダム」や「ベルサ」などのパターンは、21世紀に入ってからも復刻され、現代の食卓を再び彩っています。

例えばスウェーデン国内では、あまりの人気にマクドナルドがコーヒーカップ(紙コップ)にアダムとベルサの柄を採用したこともありました。こうしたリバイバルブームは今なお盛んで、グスタフスベリの工房ではリンドベリがデザインした花瓶やボウル、食器類が絶えず生産・販売されています。彼の作品はノスタルジックな要素とモダンな感覚の両方を兼ね備えており、今なお世界中のファンを魅了してやまないのです。

adam och bersa
(いまではプレミアが付いているマクドナルドの限定紙コップ)


リンドベリの家族生活

華やかなキャリアの一方で、スティグ・リンドベリの私生活についてはあまり多くが語られていません。リンドベリは若い頃に出会ったグンネル(Gunnel)と1939年に結婚しましたが、結婚2年後の1941年に彼女はポリオを発症して下半身不随となりました。

それでもリンドベリは生涯彼女を深く愛し、支え続けたといいます。また、初めてグンネルを見たときにあまりの美しさに目を奪われて、自転車で白樺の木に衝突したという逸話も残っています。夫妻の間には1951年から1961年にかけて3人の子供(2女1男)が誕生し、公の場で私生活を語ることが少なかったリンドベリにとっても家族は大きな支えだったようです。家族ぐるみで親交があった陶芸家リサ・ラーソンは「夫婦ともに互いを大切に思い、創作活動を励まし合う姿が印象的だった」と語っています。

リンドベリのピアノ
(娘と妻の前でグランドピアノを弾くリンドベリ)

1970年代になるとリンドベリは創作ペースを落とし、イタリアに移住して静かな生活を送るようになりました。1982年に66歳で逝去した際、グスタフスベリの工場では哀悼の意を表して社旗が半旗で掲げられたと伝えられています。


子供たちの現在と父の遺産継承

リンドベリの没後、残された子供たちは父の遺産を守り伝える役割を担うようになりました。とりわけ長男ラーシュ・リンドベリ氏(Lars Lindberg)は父のデザイン遺産の管理者として中心的存在となり、世界中のリンドベリ作品のライセンスやアーカイブを取り仕切っています。2016年の生誕100周年には代表作「ベルサ」をはじめとする名作シリーズが復刻され、ラーシュ自身がデザイン監修を務めました。

Lars Lindberg
ラーシュ・リンドベリ氏)

また、2021年にストックホルム近郊のミレスゴーデン美術館で開催された大規模回顧展「Stig Lindberg展」では、400点以上の陶磁器やテキスタイル、工業製品、イラスト原画などが一堂に会し、ラーシュがキュレーターとして参加しています。

一方、詳細な情報は多くないものの、リンドベリの二人の娘たちもそれぞれの道で人生を歩みながら、家族として父の遺産を大切にしていると伝えられます。例えば、リンドベリが故郷ウメオに残した公共芸術であるレンマルク広場の噴水彫刻(1970年代制作)を保存する運動に、家族が協力したことが地元紙で報じられています。このように、子供たちは直接的・間接的に父の作品を守り伝える活動に関わっており、その遺産は家族の手によって次の世代へと継承されています。スティグ・リンドベリが遺した豊かな創造の遺産は、こうした家族の絆によって今なお生き続け、世界中で愛され続けています。

なお今年(2025年)8〜9月にかけて東京と大阪でスティグ・リンドベリ展が開催される予定です。この貴重な機会をぜひお見逃しなく。

スティグ・リンドベリの商品一覧はこちらからどうぞ

(執筆:北欧食器タックショミュッケ編集部)

【参考サイト】

Gustavsberg Porslinsfabrik

https://gustavsbergsporslinsfabrik.se/

Nationalmuseum(スウェーデン国立美術館)

https://www.millesgarden.se/

Konstfack(コンストファック美術大学)

https://www.konstfack.se/

地元紙(ウメオ周辺)の新聞(スウェーデン語)

https://www.vk.se/

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