〜陶器像に秘められた知られざる物語〜
1967年、ストックホルム郊外のグスタフスベリ(Gustavsberg)陶磁器工房で、小柄な女性陶芸家と世界的に有名な児童文学作家が肩を並べて一つの小さな陶器人形を見つめていました。
陶芸家はリサ・ラーソン、作家は『長くつ下のピッピ』の生みの親アストリッド・リンドグレーン。

彼女たちの視線の先にあったのは、リサが粘土から生み出したばかりの“小さな女の子”―ピッピ・ロンストッキングの陶器フィギュアです。
物語の中で生き生きと暴れまわるピッピが、この日、陶器という新たな形で命を吹き込まれました。
これは、スウェーデンを代表するクリエイター同士が紡いだ、知られざる心温まる物語の始まりです。
リサとアストリッド・リンドグレーンとの出会い
リサ・ラーソンは1950年代からグスタフスベリで活躍していた人気デザイナーで、動物や人々をユーモラスかつ優しい表情で造形することで知られています。
一方、アストリッド・リンドグレーンは1945年に『長くつ下のピッピ』を世に送り出し、自由奔放な主人公ピッピによって世界中の子どもたちを魅了していた作家です。

そんな二人が出会ったのは、ピッピを陶器のフィギュアとして立体化するプロジェクトを通じてでした。
リサにとって実在の人物やキャラクターを手がけるのは当時珍しく、それまでのフィギュアはほとんどがオリジナルデザインでした。
だからこそ、幼いころからピッピの物語に親しんでいたリサは、この依頼に胸を躍らせながらも少しの緊張を感じていたかもしれません。
そして初めて完成したピッピの試作像を前に、リサとリンドグレーンは言葉を交わしました。
「まあ、なんて可愛らしいピッピなのかしら!」
リンドグレーンはリサの作ったピッピ像に目を細め、その小さな陶器の中に広がる物語の余韻を楽しんでいたといいます。
ピッピ像誕生の背景
では、なぜグスタフスベリでピッピの陶器像が制作・発売されることになったのでしょうか。
その背景には、当時のスウェーデンにおけるピッピ人気の高まりと、グスタフスベリ社の新たな挑戦がありました。
1960年代後半、リンドグレーン原作の『長くつ下のピッピ』は映像化により再び脚光を浴び、多くのファンを獲得していきます。

そんなタイミングでグスタフスベリ社は、自社の優れたデザインと技術によって、この国民的キャラクターを形にできないかと検討を始めました。
そして白羽の矢が立ったのが、同社を代表するデザイナーのリサ・ラーソン。
彼女の生み出す丸みを帯びた優しいフォルムやユーモアは、いたずら好きで心優しいピッピのイメージにぴったりだったのです。

こうして1967年、リサ・ラーソンによるピッピ像の試作が完成します。
完成品は高さ約18cmほどで、両脇に手を当て腰を張るポーズや突き出た三つ編みが忠実に再現されていました。
ところが実際の製造は決して容易ではありません。
ピッピの特徴でもある細く長い脚や独特の三つ編みは、窯で焼成する段階で倒れたり、ひび割れを起こしやすかったのです。

そのため、どれほど丁寧に焼いても破損が続出し、生産は想像以上に大きなコストと手間がかかる作業となってしまいました。
(しかも子ども用の陶器像として制作されたため、遊んで足を折ってしまったり、欠けが生じたりと完璧な状態で残っている作品は現代にほとんどありません。)
グスタフスベリ社はなんとか製品化にこぎつけ、1969年から販売を開始。
しかし生産数はごく限られ、わずか数年後の1971年頃には早くも中止されたといわれています。
この短命ぶりが、後に「幻のピッピ」や「伝説のピッピ像」と呼ばれる理由となりました。
箱のほうが高値!?
幻と消えたリサ・ラーソンのピッピ像は、生産数が少なかったこともあり、ヴィンテージ市場で高値で取引されるようになりました。
ところが、それ以上にコレクターたちが血眼になって探しているものがあります。
それは“箱”です。

当時のピッピ像には、ピッピの世界観を演出するために専用パッケージが用意されていました。
このパッケージは「ピッピのベッド」を模したデザインが施されており、まるでフィギュアのピッピがそこに寝起きしているかのように見える、遊び心たっぷりの箱でした。
しかし、当時の購入者にとって箱は単なる「梱包材」に過ぎず、子どもたちが興奮のあまり破ってしまったり、すぐ捨ててしまったりしたケースがほとんど。
その結果、オリジナルの箱がついた状態のピッピはさらに希少となり、今では箱のほうが本体以上の値段がつきます。
オークションでは、スウェーデン通貨で2,000〜3,000クローナ、日本円にして数十万円にのぼる取引例もあります。
中には、蓋にアストリッド・リンドグレーンの直筆サインが入った箱も存在し、驚くほど高額で落札されたというエピソードもあるほどです。
ピッピが遺したもの
生産数の少なさや製造の難しさ、そしてわずかな販売期間ゆえに「幻のフィギュア」となったリサ・ラーソンのピッピ像。
しかし、実はこの物語はここで終わりではありません。
リサがグスタフスベリを退職した後も創作活動を続けた結果、21世紀になって再びリンドグレーン作品のキャラクターをデザインする機会を得ました。
2016年には約50年ぶりに新しいピッピのフィギュアをデザインしており、昔のタイプと比べると小ぶりで扱いやすいながら、相変わらずユーモラスな仕上がりを見せています。


新作が発表された当時、原作者リンドグレーンはすでに他界していましたが、リサの中に息づく「ピッピ愛」は、リンドグレーンの遺した物語と共鳴し続けているようです。
あの“三つ編みの少女”は、自由と冒険心をくれるキャラクターとして世界中で読み継がれてきました。
そして、スウェーデンが生んだ二人の女性クリエイターが生み出した陶器のピッピ像もまた、時代を超えてファンやコレクターの心を掴み続けています。
まとめ
1967年の「Pippi Långstrump」陶器像は、リサ・ラーソンとアストリッド・リンドグレーンというスウェーデンを代表する二人の才能が生み出した特別なアートピースです。
製造の困難さによって生産数が限られたことで、その希少性は高まり、今や幻のヴィンテージ品となりつつあります。
さらに専用のパッケージ(箱)は、いっそう希少なため本体よりも高値がつくことも。
歴史的背景と、リサ・ラーソンならではの優しいフォルム、そしてリンドグレーンの物語世界が結びついた「長くつ下のピッピ(Pippi Långstrump)」は今も多くの人々の心をときめかせる逸品です。
その小さな人形と箱の中には、スウェーデン児童文学の豊かな世界と、リサ・ラーソンの飽くなき創造性が宿っているのです。
(執筆:北欧食器タックショミュッケ編集部)